第12回荻窪講談大盛況終了!ご来場ありがとうございました!

今回も多くの皆様のお運びを頂き、第12回の公演も大盛況のうちに終演いたしました。ご来場大変ありがとうございました。恒例の「講談やってみまショー」に続き、今回は紅佳振袖火事』からの開演、意外に知らない恐ろしい逸話と熱演に会場もすっかり温まり、真打ちの紅葉による巴御前では、巴御前の豪快な女武者ぶりに驚かされました。そして『柳沢昇進録・浅妻船』では、絵師英 一蝶(はなぶさ いっちょう)の悲哀に満ちた話と阿久鯉の話芸に涙しました。
また仲入りでは、たのはぐ会八重幡会長、義援金をお渡ししている福島県矢吹町の副町長にご挨拶頂きました。恒例の福島と熊本へのチャリティー義援金募金を行い、ご来場の皆様にご協力頂きました。大変ありがとうございました。今後も支援と交流を継続し、復興支援のお助けができればと思っております。
仲入り後は、山吹『山内一豊・出世の馬揃い』、有名な織田信長の馬揃えにて内助の功で出世する心暖まる話です。山吹の柔らかな話芸で会場もなごみました。そして大トリはによる、『お富与三郎・与三郎殺し』、昭和の名曲「お富さん」からは想像もつかないような、激しく壮絶なお富と与三郎の愛の物語、息をもつかせぬ展開と紅の熱演で一気に読み終わり、大団円となりました。次回第13回荻窪講談は、2016年11月2日(水)開催です。次回もお楽しみ頂けるよう、演者、主催者一同尽力いたします。ぜひご来場ください。
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紅佳紅葉阿久鯉仲入り山吹紅紅

photo by saito(たのはぐ会)

第12回荻窪講談演目補足情報

「時代物」である講談は、時間の制約もあり長編物語の一節のみ演じられることが通常です。そのため、その物語の時代背景や大まかな全体ストーリーを知っていると、より深く講談を楽しむことができます。今回は来る5月18日(水)に行われる第12回荻窪講談の演目補足情報を掲載いたします。こちらをお読み頂き、それが演者によってどのように語り演じられるかを楽しみに、ぜひご来場ください。 ※下に講演のパンフレットPDFファイルあります。

振袖火事』  紅佳

徳川4代将軍、家綱の時代。未曾有の惨事となった「明暦の大火」。いわく因縁つきの振袖を焼却したおり、その火の粉が飛び火し大火になったという言い伝えから「振袖火事」とも呼ばれています。舞台となるのは、本郷丸山「本妙寺」。火災が多い江戸の町、幕府はこれを厳しく取り締まり、厳重な罰則を与えました。一方、「本妙寺」はその後、おとりつぶしになることもなく、現在では巣鴨に移転したものの存続しています。俗説とは別に、本能寺が火元を引き受けた「本妙寺火元引受説」なども残されています。

 

『巴御前』  紅葉

時は1180年代。平安時代が幕を閉じ、新しい武家の時代が始まる頃のお話。「巴御前」の背景となるのは、木曽義仲の軍と源義経が対立した「宇治川の戦い」。1183年、義仲は、クーデターを慣行、一時は政権を掌握しましたが、後白河法皇の命を受けた源頼朝は、義経に大軍をつけて宇治に向かわせました。この時に、義仲に従軍したのが愛妾、巴御前だったのです。

 

『柳沢昇進録・朝妻船』  阿久鯉

5代将軍徳川綱吉の側近となり小姓から幕府最高位、大老格にまで昇りつめた柳沢吉保。江戸時代でも最も経済が潤った元禄の世を舞台に政治を担った人物。そんな彼の出世物語が『柳沢昇進録』です。連続講談の読み物として楽しまれる『柳沢昇進録』は全16席からなる長編作品で「浅妻船」は、その8席目、話しの中心となる多賀潮湖は、当時の売れっ子絵師。その人脈は華やかで、講談ではお馴染みのビックネームが脇を固めます。

 

『山内一豊・出世の馬揃い』 山吹

 信長、秀吉、家康の3人に仕えた戦国時代の武将、山内一豊。綺羅、星の如く現れるスター武将の中にあり、目立たずともコツコツと実績を重ね戦乱の世を生き抜きました。「馬揃い」とは、戦の前の馬の検分会の事です。本作は、一豊が織田家の家臣であったころのお話しで、その出世を内助の功で支えた賢妻千代も、存分にその手腕を振るっています。

 

『お富与三郎・与三郎殺し』  

「しがねぇ恋の情けが仇~」の名台詞でお馴染み、『お富与三郎』は、長唄の家元四世芳村伊三郎の若い頃の逸話を脚色した物語です。歌舞伎や歌謡曲としても多く人々に楽しまれてきたこの名場面は「~慣れた時代の源氏店(げんじだな)」と締めくくられています。春日八郎さんの歌う「お富さん」でこのお話しに親しまれてきた方の中には、「おやっ、玄冶店では?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。江戸幕府の医師、岡本玄冶法眼の受領地だったのが、玄冶店(げんやだな)(現在の人形町あたり)。そこを舞台にしたお話しですが、江戸時代は実在の地名を舞台で用いることを遠慮したことから、「源氏店(げんじだな)」という地名にアレンジし、物語となって伝えられてきました。