第17回荻窪講談大盛況終了!ご来場ありがとうございました!


荻窪講談第17回公演、今回も多くの皆様のお運びを頂き、大盛況のうちに終演いたしました。ご来場ありがとうございました。今回は、桜子と真打ち昇進したての、きらり改め、「鯉栄」が荻窪講談に初お目見えとなりました。
恒例、「講談やってみまショー」よりの開演。紅指導により今回は年末を控え「赤穂浪士伝」、大石内蔵助の枕詞、「会稽山に越王が 恥辱を濯ぐ大石の 山と川との合言葉・・」を講釈レッスンさせて頂きました。お客様の声もしだいに熱を帯び、杉並公会堂ホールに響き渡りました。

そして本編は、荻窪講談初お目見えの桜子による創作「ジャンヌ・ダルク」により幕開け。奇跡を起こす伝説の少女と、彼女に先導される仏軍の王や軍人の奮闘を、初々しいくも熱い話芸で語り、会場を温めました。

続いては紅佳による「川中島の合戦」、上杉謙信と武田信玄の知力気力を尽くした戦いを、迫真の修羅場読みと共に語りました。武将の人物像や合戦の激しさを、まさに見てきたような名調子となり、大きな拍手を頂きました。

仲入り前最後は、きらり改め「鯉栄」による創作「流れの豚次伝 任侠流山動物園」。講釈師としての自分を封印しているという日常の中で起こった、恐ろしくかつ理不尽な体験の中で、講釈師然として啖呵を切ってしまった逸話を長い枕として語り、多くの観客を引きつけました。本編も奇想天外な擬人化された動物の任侠世界を、様々なキャラクターで語り、その話芸で笑いと興奮を会場に巻き起こしたところで時間となりました。

中入り後の大トリは、紅による創作「古賀政男物語」。著名な作曲家の、成功の影にある波乱に満ちた青年期を、名曲のBGMを交えた現代的な語りにより情感豊かに浮かび上がらせました。福岡という紅と同郷でもあり、リアルな博多弁を交えた、熱く悲しいストーリーが、古賀メロディーの真髄を表現するがごとくの名調子。会場も独特の熱と感動を帯び大団円となりました。

今回もご来場ありがとうございました。次回18回公演は来年2019年5月9日(木)です。またのご来場をお待ちしています。
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photo by saito(たのはぐ会)

第9回荻窪講談演目補足情報

「時代物」である講談は、時間の制約もあり長編物語の一節のみ演じられることが通常です。そのため、その物語の時代背景や大まかな全体ストーリーを知っていると、より深く講談を楽しむことができます。今回は来る11月5日(水)に行われる第9回荻窪講談の演目補足情報を掲載いたします。こちらをお読み頂き、それが演者によってどのように語り演じられるかを楽しみに、ぜひご来場ください。  今回は、義士特集のため、「赤穂義士伝」についての説明に致しました。※下に講演のパンフレットPDFファイルあります。

「赤穂義士伝とは?」
曽我物語、伊賀越えの仇討ちと共に、三大仇討ちとして有名な「赤穂義士伝」ですが、事の起こりは今から300年余り前の元禄14年3月14日の「江戸城松の大廊下の刃傷事件」から始まった実際にあった物語です。
毎年将軍家では、年の始めに京の朝廷の元へ祝儀の使者を上洛させ、その答礼として3月に今度は朝廷の使者(勅使)が江戸城へ下向いたします。元禄14年の勅使おもてなし役は、播州赤穂の城主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)で、その指南役は高家の筆頭・吉良上野介(きらこうずけのすけ)でした。
3月14日江戸城の松の大廊下で、浅野が吉良を斬り付けた事件が勃発。その理由は、浅野内匠頭が吉良に賄賂を渡さなかったので、散々に意地悪をされた事への遺恨からとも言われますが、その他の説様々ございます。この時吉良は、大した深手も負わなかったのですが、殿中で刀を抜けばお咎めは必定。しかも大切な饗応の日だったので、将軍綱吉公は激怒して、浅野内匠頭は即日切腹、お家改易の処分が下されました。これに対して、刀を抜かなかった吉良上野介はお咎めなし。
国表でこれを知った城代家老の大石内蔵助は、同志と共に復讐を誓います。というのも、300人余りいた赤穂藩士は、亡君の遺志を継いで吉良を討とうという急進派と、お家再興を望む穏健派に分かれましたが、浅野内匠頭の弟・浅野大学が広島にお預けとなったことで、浅野家再興の望みは絶たれてしまったからです。
数々の苦難に立ち向かいながら、刃傷事件から1年9ヶ月後の元禄15年12月14日の未明、いよいよ大石内蔵助ら47士が吉良邸に突入。吉良さまの首を討って、浅野内匠頭の墓のある泉岳寺へと引き上げる。「これぞ武人の鑑」と、人々は彼らをたたえました。時刻は、朝の六つ(午前6時)で翌日になるので、討ち入りの14日の未明は、今の時刻では15日の明け方。元禄15年12月14日は、今の暦では1703年1月30日にあたると言われています。
47士のうち、足軽の寺坂吉右衛門をのぞく46士は、細川家(大石以下17名)、松平家(大石主税(ちから)以下10名)、毛利家(10名)、水野家(9名)の四大名家に預けられ、翌元禄16年2月4日に切腹を致しました。
講談の「赤穂義士伝」は、本伝、銘々伝、外伝と分かれ、たくさんの物語が古典講談として今に伝わっております。