第8回荻窪講談写真公開

演目:『講談やってみまショー』 紅
『川中島合戦』 紅桂  『木村重成』 あっぷる 『夫婦相撲』 鯉風  
仲入り(チャリティーオークション)
『南総里見八犬伝より犬塚信乃』 真紅  
『天保水滸伝より潮来の遊び』 紅
写真:斎藤氏(たのはぐ会) クリックで拡大します

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第8回荻窪講談演目補足情報

「時代物」である講談は、時間の制約もあり長編物語の一節のみ演じられることが通常です。そのため、その物語の時代背景や大まかな全体ストーリーを知っていると、より深く講談を楽しむことができます。今回は来る5月14日(水)に行われる第8回荻窪講談の演目補足情報を掲載いたします。こちらをお読み頂き、それが演者によってどのように語り演じられるかを楽しみに、ぜひご来場ください。 ※下に講演のパンフレットPDFファイルあります。

『川中島合戦』   紅桂

川中島の戦いとは戦国時代、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、北信濃の支配権を巡って数度争った戦です。永禄4年(1561年)千曲川と犀川が合流する川中島で両軍は激しく戦いました。頼山陽の「鞭声粛々~」や「啄木鳥戦法」等々、エピソードが沢山ある川中島の戦いですが、特に有名なのが“信玄と謙信の一騎打ち”。が、実はこれ、真偽のほどは定かじゃありません。講釈師にとってもこの『川中島合戦』は『三方ヶ原』と共に修羅場読みの修行にかかせない演目

『木村重成』     あっぷる

大坂冬の陣では後藤又兵衛と共に戦功をあげ、徳川秀忠との和平交渉の使者として堂々と振舞うなど、大坂四天王の一人として活躍した若き武将、木村重成。しかしこの木村重成、それだけじゃない。「丈高く、色あくまで白く、眉黒々と際だち、眦が凛と上がった美丈夫」といわれるほどの戦国屈指の美男子だったのです!

 『夫婦相撲』      鯉風

このお話の登場人物である横綱・不知火は、元は大坂相撲で活躍していた力士。
江戸時代から大正の末まで存在したこの大坂相撲は、大坂商人達の後援を得て、一時は江戸相撲を凌ぐほどの人気がありました。不知火の他にも、講談でおなじみの雷電や小野川、梅ヶ谷も大坂相撲で好成績を残しています。

『南総里見八犬伝より犬塚信乃』    真紅

滝沢馬琴による『南総里見八犬伝』は、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの玉を持つ八犬士が里見家のもとに集い戦う勧善懲悪の物語。その八犬士の中でも最初に活躍する主役がこの犬塚信乃です。無事育つようにと女装をさせられ女の子として育てられたというなんとも変わった設定の主役です。最近でも「女装男子」「男の娘」なるものが流行っているようですが、この信乃はそのさきがけといえるかもしれません・・・。

『天保水滸伝より潮来の遊び』     

「天保水滸伝」は笹川繁蔵と飯岡助五郎の確執を中心に、下総・利根川の侠客たちの抗争を描いた物語です。今回の舞台の潮来は、霞ヶ浦や北浦、常陸利根川などに面した水郷で、江戸時代には利根川水運の港町として栄えました。この潮来も「京都の島原」「江戸の吉原」とともに江戸三大遊郭とうたわれていました。江戸当時は青楼9軒、遊女120名。引手茶屋43軒が浜町一帯に軒を並べ盛大な色街だったようです。現在、遊郭跡には大門が再建されています。