第20回荻窪講談大盛況終了!ご来場ありがとうございました!

荻窪講談第20回公演、今回も多くの皆様のお運びを頂き、大盛況のうちに終演いたしました。ご来場ありがとうございました。
今回の公演は、20回という節目でもありますが、神田真紅の真打ち昇進並びに三代目「松林伯知」襲名記念公演となりました。

恒例、紅指導による「講談やってみまショー」からの開演です。お客様に大きな声を出して頂き、講談の一節を講釈する練習を行います。これにより「講談を聴く耳」ができ、講釈師の話芸もより聞きやすくなり、理解が深まります。今回は皆様御存知の「源平盛衰記 扇の的」より「美人の形容」の一節、何度もお運び頂いているお客様も増え、お客様の声も最初から大きく、紅の軽妙なリードの下、笑い中にも熱の入った練習となりました。会場も温まり、荻窪講談スタートです。


先陣を切るのは、荻窪講談初お目見えの「紅希」(こうき)による、「越の海」です。
小兵の相撲取りの出世物語。力持ちで負けん気の強い小兵力士「勇蔵」が、有名な巨漢力士「雷電」らに果敢に挑戦し、揉まれ、認められるまでの出世話。紅希が元気いっぱいな小兵と関取の声色を見事に使い分け、コミカルな相撲展開の情景が笑いを誘う熱演となりました。


続いては紅佳による「扇の的」
有名な源平合戦の屋島の戦い、源氏方弓の名手「那須与一」の出世話。
追い詰められた平家美女「玉虫」の挑発に乗り、源氏大将義経の命で、ゆれる船上で手に持つ扇を射ることになる。しかも扇の中央の日輪を避けて射落とせねばならないという無理難題。しかし那須与一は見事それを成し遂げ、敵方からも称賛されるという一節。緊迫感のあるやりとり情景を紅葉が朗々と語り、古の名場面を描きました。


中入り前は真打ち昇進、「松林伯知」襲名となる真紅の登場です。
演目は「名人松林伯知伝」
初代「松林伯知」が誕生するまでの物語です。歌舞伎役者に憧れる質屋のせがれ正一郎、憧れの團十郎に断れしょげているところ、講釈師になることをすすめられ「伊藤潮花」の元を訪れるたところ、占いで弟子にするか決めるという、めでたく弟子になれたものの、修行の厳しさに逃げ出す。そのざまに「おまえは白痴と名乗れ」と罵られ、奮起した正一郎は再度講談師を目指す。精進するとめきめき上達し、数々の新作講談を自らつくるようになり頭角を表す。実際の心中事件よりつくった新作講談を演じたところ、芸者と心中した夫安兵衛の妻「玉」よりクレームが入り、何度も台本を直すハメに。必死に何度も直しやっと満足されたところ、今度は未亡人から熱烈に求婚され結婚することに。その後妻の娘が時の総理大臣にもなった山縣有知に嫁入りし、義父として出世することに。苦しみながらも誠実に芸を磨き、新作講談を多数産んだ松林伯知の出世物語、襲名する真紅が熱く語りました。


中入り後は、紅、真紅そしてたのはぐ会会長八重幡が壇上に上がり、神田真紅の三代目「松林白知」襲名の口上が行われました。厳粛で儀式的なものでなく饒舌で微笑ましい真紅らしい口上となりました。


その後、荻窪講談初お目見えの音曲師「小すみ」の登場です。超絶技巧の三味線と長唄そして尺八での「アメージング・グレイス」、創作曲でのヨーデル披露、さらに巧みな話芸で、一切飽きさせることなく観客を魅了しました。


そして大トリはおなじみ神田紅。今回は自らの創作講談「マリリン・モンロー」。現代語で本人になりきり語ります。
モンローのカツラで「お熱いのがお好き」のテーマに乗って登場し、自分語りが始まります。華やかで波乱に満ち、悲しいモンローの人生が、幾度の結婚離婚、ハリウッドでの葛藤を中心に語られます。伝説的な女優としての成功の裏で、苦悩に満ちたマリリンの生涯を情熱的に語り、ひとつの演劇を見たような感覚さえ覚えます。
そして万雷の拍手の中、終演しました。

photo by saito(たのはぐ会)

第七回荻窪講談終了、ご来場ありがとうございました!

今回も多くの皆様のお運びを頂き、大盛況のうちに終演いたしました。荻窪講談も七回を重ね、講談慣れしたお客様も多いようで、拍手、掛け声、笑い声と歓声。公会堂小ホールという大きな会場ですが、演芸場のようなアットホームな熱気に包まれ、演者にも熱が入ったようです。お楽しみ頂けましたら幸いです。また仲入りのチャリティー・オークションにも多数のご支援を頂きありがとうございました。
次回公演は2014年5月14日(水)です。次回もお楽しみ頂けるよう、演者、主催者一同尽力いたします。ぜひご来場ください。 (写真:たのはぐ会 斎藤氏撮影) ※マウスオーバーで演者と演目が出ます。

第七回荻窪講談 演目補足情報

「時代物」である講談は、時間の制約もあり長編物語の一節のみ演じられることが通常です。そのため、その物語の時代背景や大まかな全体ストーリーを知っていると、より深く講談を楽しむことができます。今回は来る11月7日(木)に行われる荻窪講談の演目補足情報を掲載いたします。こちらをお読み頂き、それが演者によってどのように語り演じられるかを楽しみに、ぜひご来場ください。 ※右上に講演のパンフレットPDFファイルあります。

『真田幸村大坂出陣』   紅桂

関ヶ原の合戦で真田家は、父親昌幸と次男幸村の2人は西軍に、長男信幸は東軍に分かれて戦いました。幸村親子は信州上田で秀忠の率いる3万8千の大軍を食い止めましたが西軍は惨敗。長男信幸は家康公に上田城の開城を条件に父と弟の助命を嘆願。命拾いをした幸村親子はおとなしく百姓暮らしをしておりましたがその14年後、幸村48歳の時です。大坂城の豊臣秀頼公から援軍要請。いよいよ待ちに待った時がやってまいります。

『雷電の初土俵』     松之丞

その昔、相撲は野外で行われておりました。両国回向院の境内に国技館ができましたのは明治42年の事。4階建てのドーム型、1万3千人収容、東洋一の規模を誇りました。
それ迄は蔵前八幡、深川八幡、芝神明様など寺社の境内で行われておりましたから興行の度に相撲場を作り、又、興行中に雨が降れば延期になるという晴天興行。本場所が終わる迄ひと月以上かかる事も珍しくありませんでした。深川八幡の境内には横綱碑と共に別格に無類力士雷電為衛門の名が刻んであります。

 『扇の的』      阿久鯉

48巻から成る源平盛衰記は鎌倉時代に書かれました。“驕る平家は久しからず”権勢を誇った平家でしたが、清盛亡き後は安徳天皇を奉じて西国へと都落ち。源頼朝の命を受けた義経軍に攻めたてられ四国の屋島で、ついに海上へと追い詰められてしまいました。扇の的はそんな絶体絶命の最中の出来事で、そのひと月後、壇ノ浦で戦いに敗れた平家は一族郎党ことごとく海中に没したのでございます。

『あの頃の夢』    

宝くじの起源は江戸時代初期、摂津の瀧安寺で正月に抽せんで当選者に福運のお守りを授けたのが始まり。その後、寺社が修復費用調達の方法として幕府公認の“富くじ”を発売。しかし天保の改革で富くじは禁止され、その後103年間発売されませんでした。昭和20年、政府は軍事費用調達の為に1枚10円1等賞金10万円の宝くじ“勝札”を発売。ところが抽せん前に終戦となって“負札”と呼ばれてしまいます。同年10月政府は“宝くじ”の名前で第1回宝籤を発売しました。

『黒田武士』     

お話しの中に“斗酒なお辞せざる酒豪”という言葉が出て参ります。斗酒とは1斗酒の酒ですから10升。多量の酒を勧められても断らないほどの酒豪、大酒飲の事。論語の中に“酒は量なし乱に及ばず”という言葉もございます。いくら飲んでも少しも乱れず正気を失わないという理想的な飲み方で、これぞ母里太兵衛!ところがこの人、実は下戸だったとか…。